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甲府駅
【こうふえき】


国鉄中央本線の駅名。所在地は甲府市丸の内1丁目。明治36年6月11日,中央線が甲府まで開通すると同時に開業。県都までの鉄道の開通は県民の願望が実現したものとして甲府駅開業時は愛宕山,舞鶴公園に汽車見物の桟敷がつくられ,花火の打上げ,提灯行列の市内行進などが行われて,祝賀一色の様相を呈した。駅開業とともに中央線の建設事務所が八王子から移転して鉄道作業局甲府出張所と改称,甲府以西の中央本線建設の拠点となった。同43年中央本線全通とともに同出張所に代わり甲府保線事務所を設置。昭和3年富士身延鉄道が甲府まで全通。同17年には戦時下における運輸統制のための甲府管理部が設置された。同25年北口駅が完成,市北部の利用者の不便が大幅に緩和された。同年国鉄の機構改革により甲府管理部が廃止,甲府営業所が設置された。この間甲府鉄道管理局の誘致運動が展開されたが実現せず,昭和27年には甲府営業所も廃止され,東京鉄道管理局運輸長室に縮小された。駅前広場の整備は順次進められ,象徴的存在であった三角地帯も昭和20年代後半に撤去された。年間の乗車客数・降車客数の変遷は,大正5年47万1,195人・46万4,936人,昭和5年107万5,720人・105万5,234人,同25年511万6,581人・502万1,530人,同55年乗車客数508万6,939人。昭和47年旅行センターを開設,同年甲府駅近代化促進委員会が設置され,近代化に向けての整備促進運動が展開された。この運動は同50年代に入って本県における国体開催構想とともに急速に具体化,同55年に東京西鉄道管理局と県・市・商工会議所との間の協議の中で駅舎改築を中心とする駅ビル建設の要望が出され以後定期協議が継続された。同57年甲府駅改良工事についての協定を締結。同58年から工事が開始された。新駅は現在の南口・北口を統合した橋上駅構想で,中に南北自由通路を配し,さらに駅ビルは地上5階建てとしていずれも同60年竣工予定で工事が進められている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7096913