十五所
【じゅうごしょ】

旧国名:甲斐
「じゅうごせ」ともいう。甲府盆地西部,御勅使(みだい)川扇状地の扇央に位置する。地名の由来は鎮守の諏訪神社と御子神14柱を合祀して十五所明神としたことによるとも,また御勅使川の氾濫の際15条の瀬を生じたことによるともいわれる。古来水利に乏しく,釜無川などの氾濫原で水田地帯の「田方」,市之瀬台地などの水田と畑作地帯の「根方」に対し,御勅使川扇央の水利に乏しい畑作地帯である当地一帯は「原方」と呼ばれる。また,御勅使川扇央の旱魃地帯に位置する当地周辺7か村を「原七郷」とも呼ぶ。地内立石には武田逍遥軒信綱の館跡があったといわれる(櫛形町誌)。「国志」によれば,古府八幡宮の番帳に十五所禰宜の名が見えるという。古墳時代の十五所遺跡がある。
【十五所(中世)】 戦国期に見える地名。
【十五所村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【十五所(近代)】 明治後期・大正期~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7097287 |




