日向町
【ひゅうがまち】

(近代)明治9年~昭和39年の町名。もと甲府城郭内の武家屋敷地であった森下小路が改称して成立。甲府城内外の堀の埋立てと道路新設工事により新たに町として起立した。甲府市街地の中心部に位置する。山梨県の成立後,県庁職員が住み,官舎が建てられた。明治17年甲府総町戸長役場,同20年から甲府錦町外三十六ケ町戸長役場の管轄区域に入る。同22年甲府市に所属。戸数・人口は,明治22年7・31,大正7年17・85,昭和12年の世帯数173・人口961。大正14年に西の一画に県繭検定所が建てられ,また昭和3年にはこれと並んで県蚕業取締所甲府支所が設置され,この向かい側に丸茂製糸工場が建てられた。第2次大戦中は製糸工場・蚕糸業機関の活動も小規模に縮小された。昭和20年の空襲では当町は被害を受けなかったので,官舎へも戦災縁故世帯が増え,昭和22年は世帯数260・人口1,136となった。県蚕業取締所甲府支所の建物には一時盲唖学校が移っていたが,戦局の急迫により郡部へ疎開,そのあとへ全焼した県立医学専門学校付属病院が移った。なお昭和25年に甲府駅は当町地内に北口を設け,乗降客業務を取り扱うようになった。県庁公舎を宮前町と北新町に新築し,日向町公舎を取り払ったので駅前広場ができて,さらに戦災後の都市計画により区画整理と道路拡張工事が始まり,市道武田神社線(南北通り)は甲府駅北口前線に接続した結果,当町を中心とする北面に諸会社の建物が増加した。北口駅前西寄りには国鉄の5階建て総合事務庁舎が建てられた。昭和36年には,戦前からの懸案であった甲府駅を中心として南北をつなぐ交通路の開通工事が県によって着工され陸橋が架設された。同39年には旧県庁官舎の隣接地へ7階建ての山梨文化会館ビルが建設された。世帯数・人口は,昭和25年207・1,023,同35年224・1,027。同37年一部が北口1~3丁目となり,残余は同39年丸の内1~3丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7098168 |