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浅間山
【あさまやま】


北佐久郡軽井沢町と群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村の境にある山。標高2,560m。烏帽子火山群を構成する高峰山の東側に隣接する第四紀火山で,日本を代表する活火山の一つ。浅間山噴火の記録は,「日本書紀」天武天皇14年3月条に「是の月に,灰,信濃国に零れり。草木皆枯れぬ」が初見とされる。山体は,直径約400m,深さ約150mの噴火口のお釜をもつ釜山(2,560m),その外側の前掛山(2,493m),さらに前掛山西方の黒斑山(2,455m)などからなる。数万年前,高峰山の東側には安山岩質溶岩と火砕岩からなる成層火山が存在し,その南側斜面には溶岩円頂丘も見られた。その後,成層火山の東側山腹で発生した水蒸気爆発により,山体の大部分が消失。西側に残された成層火山の遺物が現在の黒斑山で,溶岩円頂丘は石尊山(1,667.7m)である。2万年前頃,石英安山岩質溶岩からなる楯状火山と溶岩円頂丘が黒斑山の東側に形成された。仏山火山と呼ばれるこの楯状火山は現在見ることはできないが,溶岩円頂丘は現在の小浅間山(1,655.1m)である。5,000年前以降,黒斑山の東側では安山岩質溶岩と火砕岩からなる成層火山が新たに成長し,天仁元年の噴火後,山頂部は陥没した。この成層火山が現在の前掛山である。釜山は前掛山の火口の中で,天明3年の噴火を契機に著しく成長した中央火口丘であり,現在も成長を続けている。この噴火によって,群馬県側の村落は大きな被害を受けた。北へ流下した火砕流(鎌原火砕流)が鎌原村を破壊し,さらに吾妻川から利根川にかけて洪水を発生させたことが知られている。県内でも,中山道軽井沢・沓掛・追分の各宿に大石や砂が1尺1寸ほど降り,特に軽井沢宿は残らず焼失したと報告されている(浅間山火焼被害届等留書/県史近世史料9)。鬼押出岩と呼ばれる長さ5km,幅1.5kmの塊状溶岩流(鬼押出溶岩流)は,天明3年の噴火の末期に流下したもの。浅間山では,修験者によって古くから登山が行われ,軽井沢町追分の浅間(せんげん)神社は浅間山を遥拝する里宮。石尊山には座禅窟がある。また,「伊勢物語」第8段に「しなのゝ国あさまのたけにけふりのたつをみて,しなのなる浅間のたけに立煙をちこち人のみやはとかめぬ」とあるように,古来詩歌の題材となってきた。その噴煙に燃える恋の思いをたくした,読人不知「いつとてかわが恋やまむちはやふる浅間の岳の煙絶ゆとも」(拾遺集),源俊頼「いつとなく恋に焦るゝ我身よりたつや浅間の煙なるらむ」(金葉集)などの歌や,「あさま」から「あさまし」を導き出し,「雲晴れぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそやまめ」(古今集)などの歌もつくられた。歌枕として,「能因歌枕」などにもあげられ,都を遠く離れた辺境の,東国への道筋にある浅間山に思いを寄せた詩歌も多い。山麓一帯は,近世には小諸藩の用材,周辺村々の薪炭・下草の供給地となり,明治期以降は避暑地軽井沢を中心に観光地化が進んだ。また,第2次大戦後の入植者によって標高1,200m前後まで耕地が開かれ,高冷地野菜が栽培されている。浅間山は昭和期になっても噴火をくりかえし,昭和36年に鎮静化したが,同48年2月に再び活動を始め,同年9月に一応静まっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7098953