荒井村
【あらいむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。筑摩郡のうち。犀川支流奈良井川下流左岸に位置し,同川と田川の合流地の河川敷に形成されたと推定される。清水城または荒井城という館跡が残る。松本藩領。村高は,寛永19年の松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)で343石余,「正保書上」245石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」385石余,「旧高旧領」396石余。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,島立組に属し,家数38,人数296(男160・女136)。村内に荒井城(清水城)跡があり,府中小笠原氏の支族島立氏が居住したといわれる。江戸初期の作という双体像の道祖神がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同8年島立村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099031 |