稲荷山
【いなりやま】

旧国名:信濃
千曲川支流佐野川流域に位置する。地名の由来は,天正10年頃上杉景勝が小笠原貞慶の侵入に備え,城を築いた時,白狐が飛び込んだところから,あるいは飛び出したところからとも,それ以前からあった稲荷社よりつけられたともいわれる(稲荷山四百年の歩み)。上杉景勝は,天正12年5月17日保科豊後守を「稲荷之地」在城を命じて桑原半分を宛行い,また同年6月27日松田盛直にも「稲荷之地」在城を命じた(別本歴代古案/信史16)。次いで景勝は同年8月3日小笠原貞慶方との「稲荷山口」・青木島における合戦の小田切左馬助の戦功を褒賞している(歴代古案/同前16)。当地周辺には,城小路・馬出し小路・役所小路などの城郭関係の地字が残る。「文禄三年定納員数目録」によれば,「稲荷山留守役衆」として保科佐左衛門・小田切備前守・同金千代丸が見え,各々540石余・302石余・291石余を与えられている(信史18)。
【稲荷山村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【稲荷山町(近代)】 明治8~22年の町名。
【稲荷山町(近代)】 ①明治22年~昭和30年の更級【さらしな】郡の自治体名。
【稲荷山(近代)】 昭和30年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099281 |




