大塩村
【おおしおむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。安曇(あずみ)郡のうち。犀川支流金熊川上流の台地上に位置する。地内に縄文前期の遺跡や中世の山城などがある。天正17年10月2日,上杉景勝は横田大学助に「大塩之地在城」を命じ,在城料として越後国野尻・中津河の地を宛行った(横田文書/信史補遺上)。松本藩領。大町組に属する。村高は,「慶長改帳」83石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに65石余,「天保郷帳」160石余,「旧高旧領」161石余。承応年間に切明村を分村したという(信府統記)。元文4年の大町組家数村別帳(県史近世史料5-1)によれば,家数58うち高持軒役家36・無高軒役家10・水呑9・門屋3。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,家数81・人数376。地内を大町から善光寺へ通じる道が通る。鎮守として富士浅間大明神がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同8年美麻(みあさ)村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099609 |