柿沢
【かきざわ】

旧国名:信濃
東山南西麓,田川上流域に位置する。塩尻峠の約5km西に位置する。地名の由来は,近くの餓鬼山にちなむとする説のほか,四沢川の桟(かけはし)説,牛倉沢の柿にちなむものなど諸説ある。古代には五百渡(いおと)付近に農牧生活をしていたが,のち明神平付近へくだり,中山道開通の頃現在地へ定住したという(塩尻地史)。これに伴いはじめ五百渡にあった式内社阿礼神社も明神平から,塩尻宿へ遷座した。天文19年小笠原長時と甲斐の武田晴信との塩尻峠の戦いではこの付近でも激戦があり,地内東端永井坂には戦死者の首塚・胴塚がある。
【柿沢村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【柿沢村(近代)】 明治14~22年の村名。
【柿沢(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099905 |




