勝間
【かつま】

旧国名:信濃
天竜川支流三峰川上流左岸に位置する。三界山の峰々に三方を囲まれ,北に山麓台地が張り出し三峰川が河岸段丘を形成。三峰川を間に高遠(たかとお)城と指呼の間。葛と麻をよく産し往古貢物とした。地名の由来は,その葛と麻が勝間に転訛したことによるという。麻のあとに菜を作ると美味であるといわれ近年まで作っていた。「先史及原始時代の上伊那」に大正期,先土器時代遺物,硅岩製木葉形石槍の逸品採集の記載がある。縄文中期を主に,平安期に至る遺跡地が多く,堀遺跡では縄文中期大集石群・平安集落・中世堀遺構などが発見されている。「木の下蔭」に布引岩の膳椀伝説がある。また高山深谷で猪鹿の類が多くすみ,人参色をよくし肥える地であると見える。南朝の宗良親王にまつわる御所垣外・御所神様が伝わり,若宮原・宮の入などの字地もある。天正10年3月2日高遠(たかとお)城落城の時当地の百姓たちはいち早く城に入り,城主仁科五郎盛信の死体を当地の若宮原に運搬して火葬にし,のち五郎山の尾根に埋葬したと伝え,この山名は城主の名に由来するといわれる。
【勝間(中世)】 室町期から見える地名。
【勝間村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【勝間村(近代)】 明治14~22年の村名。
【勝間(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099994 |




