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北原村
【きたばらむら】


旧国名:信濃

(近世)江戸期~明治8年の村名。伊那郡のうち。藤沢川中流左岸の平坦部に位置する。ゴンドノ古屋敷・かくれ久保の古跡がある。「県町村誌」によれば,獺倉谷(そうだにくら)の住人北条時方が居住したと伝え,暦応3年9月16日没し,その孫民家に下り北原に住すという。「伊那武鑑」には北原氏宅跡が見え,工藤犬房丸の末孫北原氏が高遠(たかとお)城主に仕え天正年間北原杢左衛門が18貫を領したという。高遠(たかとお)藩領。「天正高帳」では四日市場村のうちに含まれるが,「正保書上」で村高194石,元禄3年の検地水帳で87石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに87石余。元禄6年では田方25石余・畑方61石余で,畑地が2倍以上を占める。年貢免定率は5割を基準とするが,宝暦2年には毛付率5ツ6分,取米47石余。昭和元年の郷村中馬頭数調による中馬頭数21で,中馬稼は重要な副業であった。藩は石工旅稼ぎを奨励し,当村からも弘化2年18人,文久2年13人が他国へ出かけている。また天保4年頃から藩は養蚕も奨励したため,桑を植え,幕末には夏蚕を主とした養蚕が興った。また楮も植え,和紙原料として出荷した。文化年間の戸数29。嘉永3年は戸数22,人口102うち男48・女54(藤沢村誌)。文久元年の戸数35,人口176うち男84・女92。鎮守は神明神社。寺は日蓮宗北原山長久寺で永正2年日台上人の開基。明治4年高遠県を経て筑摩県に所属。同8年藤沢村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7100407