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下堰
【しもせぎ】


長野市の川中島町上氷鉋(かわなかじままちかみひがの),川中島町御厨を経て篠ノ井西寺尾・篠ノ井東福寺に至る灌漑用水路。長野市小田切の東京電力小田切ダム放水路より直接取水し,毎秒20.2m(^3)のうち14.2m(^3)を小市で分水,サイフォンで犀川右岸に導水,旧下堰幹線水路に入る。四ツ屋で射流分水により下堰毎秒7.491m(^3),鯨沢(けいざわ)堰毎秒3.450m(^3),小山堰毎秒3.259m(^3)を分水する。下堰は,延長18km,受益面積360ha。昭和61年,サイフォン噴出口に制水門を新設した。犀口三堰の一つで,慶長16年花井義雄の指揮で完成したが,中世に犀川の支流を利用した用水が開削されており,開発が進んでいたとみられる(下堰沿革史)。享保17年の堰組合は,四ツ屋村・今里村・戸部村・上氷鉋村・中氷鉋村・下氷鉋村・大塚村・小島田村・広田村・藤牧村・原村・今井村・西寺尾村・東福寺村・小森村・真島村・上布施村・中沢村の9,330石であったが,慶応元年には17か村5,371石となる。明治元年の大洪水後,水不足となり,稲里・小島田・青木島関係の枝堰の鯨沢堰が分離,下堰と小山堰(青木島・真島関係)の間に取水口と導水路を新設した。受益面積は明治44年305町8反余,昭和40年274ha(下堰沿革史)。下堰の取水口は,上中(じようちゆう)に比し比較的安定していたが,河床低下で上流に移動,昭和20年の洪水後,篠ノ井小松原に横断沈床を新設し,取水口を改修した。同23年竣工,最大取水量80個(毎秒80立方尺),受益面積670町。これにより,田植えの終了が7月20日から7月7日となった。元取水口に記念碑がある。昭和25年以降の善光寺川中島平農業水利事業により,犀川右岸3堰と左岸4堰の取水口が合口され,用水路の近代化がほぼ完了した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101214