筑摩県
【ちくまけん】

(近代)明治4年11月20日~同9年8月21日の県名。長野県および岐阜県の前身の一つ。筑摩郡松本の旧松本藩庁舎を県庁舎とし,その管下は信濃国中部以南のいわゆる南信一帯から飛騨国一円に及び広域にわたっている。明治4年7月,廃藩置県により全国261の諸藩が県となり,地方は従前の府県を合わせて3府302県に達した。この結果,県の格差が著しかったため,同年11月大幅な県の合併を行い地方は3府72県に改編された。これに伴い,信濃国のうち松本・飯田・高遠・高島・伊那の5県と高山県(飛騨国)を合わせて筑摩県が設置された。旧来の藩がそのまま県となり12の小県が分立していた信濃国は,ここで北に長野,南に筑摩の2県に統合されることとなった。置県当時の筑摩県は,信濃国4郡(筑摩・伊那・諏訪・安曇(あずみ))と飛騨国全域(益田・大野・吉城の3郡)を所管し,戸数11万4,561・人口55万841,石高38万石余に達する。同9年6月,県庁舎焼失の災を被った。同年8月21日,管下飛騨国3郡を分離して岐阜県所管とし,同時に所管の信濃国4郡を長野県へ編入した。この結果,筑摩県は廃止となって消滅し,現行長野県の所管区域がほぼ確定した。置県から廃止までの約5年間に長官として永山盛輝・高木惟矩(いずれも参事)の2人が在任した。筑摩県廃止後,南信地方の有志者による筑摩県再置の復県運動が数年間にわたって続けられ,その後は,県庁の松本移転運動も行われたが,いずれも内務省の採用するところとならなかった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7101875 |