野尻
【のじり】

旧国名:美濃,信濃
(中世)古くは野路里・野次里とも書いた。木曽谷の南部。急峻な山嶺が広がるなか,中央部を南流する木曽川沿いの左岸とわずかな右岸段丘上に耕地と集落が立地する。木曽家系図によれば14代家賢の弟である八郎がここに住し,野路里氏の祖であるとする。この八郎は,康正2年定勝寺へ木曽中の関所を無事通過できるよう過書を交付した家定ともみられる(定勝寺文書/信史8)。永禄4年正月17日付で木曽義康が「野尻之郷内林在家」を定勝寺如意庵へ寄進しており,同8年8月29日には木曽義昌が「林地下之儀」を如意庵領として安堵している(定勝寺文書/信史12)。ただし,これらの文書には研究の余地があるという。なお,永禄11年4月の定勝寺客殿修復仕様書には人足出処として「十八人蔵本百姓門前林之衆」と見える(同前/同前13)。下って文禄2年の「大和田重清日記」には「又野尻ニテ馬次,同金壱匁うる,より銭八百文請取,同昼食スル,野尻より小黒ニ乗,生雲(生雲軒某)ノクツ壱足借用ス,須原ニテ馬次」とあり,江戸期以前より宿駅制度のあったことがうかがわれる。また観応3年の真壁光幹の相博状(真壁文書/信史6)に出てくる「美濃国小木曽庄下保旧田」は野尻の振田と目されており,この一帯は古くは小木曽荘下保のうちであったとされている。地内の白山神社には永享5年銘入の銅製鰐口や正長元年の棟札が保存されており,木曽の中世文化の一中心であったことがうかがえる。
【野尻村(近世)】 江戸期~明治7年の村名。
【野尻村(近代)】 明治14年22年の村名。
【野尻(近代)】 明治22年~現在の大桑村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102631 |




