府中
【ふちゅう】

旧国名:信濃
(中世)鎌倉期から見える地名。筑摩・安曇(あずみ)郡のうち。符中とも書いた。嘉暦4年の諏訪大宮造営目録に「符中」のうちとして白女・草深・唐笠木・白河・伊賀之牧・村井が記されている(信叢2)。これらは安曇・筑摩両郡内の地名であり,広義には安曇郡北半と筑摩郡北部山間部を除いた松本平全域を指すこともあった。本来は「国府の内」の意味であり,建武2年3月日の市河助房等着到状に「将又就府中騒動」,同年月日の市河助房同経助着到状に「至于符中令馳参候畢」などと見え,翌3年11月日の市河親宗軍忠状によれば,10月12日親宗は小笠原経義に属して「符中并仁科千国口」に発向したという(市河文書/信史5)。嘉慶元年9月26日には北朝方の諏訪頼継と小笠原長基との戦いが筑摩郡熊井原であるが,同年と推定される10月10日の斯波義将書状写には,「符中熊井原合戦」とある(守矢文書/同前7)。文安5年をそう下らない頃に成立したと考えられる「年内神事次第旧記」によれば,「一,五月分二日三日四日 〈おしたて〉酒室之御酒・御穀ハ神殿役,勢子踏馬府中白ひめ白河・藤沢七郷・一沢」「一,祝殿くらいに付給時,府中白河よりしやうそくの分これうそく廿貫文参」とある(信叢7)。「守矢満実留書」によれば,文明2年6月19日御柱立の「日照,符中深志介役,坂西兵部少(輔脱)勤仕候」とある(同前7)。また戦国初期成立の諏訪御符礼之古書の文明17年条には「一,流鏑馬,符中桐原・神田,小笠原中務源光政,御符礼一貫三百」とある(同前2)。これらは広義の意味である。「信州下向記」天文2年7月22日条に「自府中諸勢今日著陣」とあり,小笠原長棟の軍勢が伊那郡に攻め入り,知久頼元軍と対陣しており,8月17日条にも「自府中今日又出帳(張)云々」と長棟が出陣している(同前10)。下って,天正8年卯月20日の武田勝頼安堵状によれば,「一,府中和田之内 三拾五俵」などを倉科朝軌に安堵している(倉科文書/信史14)。天正10年と推定される2月6日の木曽義昌覚書には「伊奈郡之御人数被立遣候者,諏方・府中可為一変候事」とあり,織田信忠の将塚本三郎兵衛に信忠の来援を促すよう伝えており,これは松本平一帯を指すものと思われる(塚本文書/同前15)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103117 |




