山田新田村
【やまだしんでんむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治7年の村名。諏訪郡のうち。八ケ岳連峰西南麓に位置する。寛永3年古田村から久内・庄吉・新次郎の3人が神原村内の東部に移って荒所を開発,のち中沢村の勘三郎が中沢村の一部を開発,両所を合わせ山田新田村となる(玉川村史蹟踏査要項)。村内を上下二筋の横道(善光寺道・甲州道)が通過している。諏訪上社領と高島藩領。村高は,「元禄郷帳」58石余,「天保郷帳」165石余,「旧高旧領」370石余。なお山田新田開発旧記帳(同前)によると,上社領の古高55石余,高島藩領分16石。享保18年の「諏訪藩主手元絵図」による戸数77。江戸後期から末期にかけて盛んになった諏訪鋸(信州鋸)製造は,始祖藤井甚九郎に師事した当村の河西甚五郎によって普及され,鋸生産の盛んな村として知られるようになった。産土社壷井八幡社は,上の横道に沿い,村の東南部に鎮座。村の草創当時の勧請と考えられている。本殿は,文政7年立川和四郎富昌の作である(玉川村史蹟踏査要項)。明治4年高島県を経て筑摩県に所属。同7年玉川村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103866 |




