平田荘
【ひらたのしょう】

旧国名:美濃
(古代~中世)平安期~室町期に見える荘園名。美濃国厚見(あつみ)郡のうち。木曽川と長良(ながら)川にはさまれた平坦地で,現在の岐阜市街地南半から,南方,木曽川の旧河道に至る広大な荘域であったと推測される。初見は天喜元年7月付の茜部荘司・住人等解案で,当時東大寺領茜部(あかなべ)荘の西に接して存在していた。平安末期の両荘の境は,厚見郡条里の7里を南北に貫通する平田大路であったが,平田荘下司厚見王大夫政則や鶉(うずら)郷司源光国が,茜部荘内の田地を各々の私領にさき加えたとしてしばしば境相論が起こっている(県史)。源光国は永久~天治のころ鶉郷を「故二位家領平田庄」の加納として寄進,下って建久2年10月付の長講堂領目禄には,市俣・六条・鶉・革手・加納の5郷が見え(島田文書),これらは応永14年3月付の長講堂領目録写では平田荘のうちとされている(集)。この間文和年間以降,浄土宗立政寺へ土豪・百姓等によって盛んに「平田西荘」の田畠が寄進・売却されている(立政寺文書)。平田西荘は単に「西荘」とも書かれるが,「美濃国第三宮因幡社本縁起」に「当郡(厚見郡)内平田東西庄以下郷々」と見え,あるいは5郷が付加される以前の平田荘域が東・西に分かれたものかもしれない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7108305 |




