城飼郡
【きこうぐん】

旧国名:遠江
古代~近代の郡名。遠江(とおとうみ)国のうち。遠州灘に面し,中央部を菊川が流れる。西端は小笠(おがさ)山丘陵,東端は牧ノ原台地が占める。当郡東部付近には古代に官牧が設定されており,郡名の由来も,柵で囲って牛馬を飼育したことにちなむとする説がある。「和名抄」国郡部では,刊本・東急本とも「支加布」と訓じるが,東急本は郡名を「城伺」に作る。「紀甲郡」とも書かれた(藤原宮出土木簡)。平安後期から城東(きとう)郡とも称され,近代には城飼郡の称は廃れ,もっぱら城東郡となった。
(古代)藤原宮出土木簡に「紀甲郡」とあるのが初見。
(中世)平安後期~南北朝期の郡名は史料にほとんど表れなくなり,この頃郡の行政単位としての意義が失われたことがうかがわれるが,代わって荘園制が展開することになる。
(近世)総町村数・総高は,「元禄高帳」では115か町村・6万1,029石余(うち幕府領3,254石余・横須賀藩領2万1,951石余・駿河田中藩領2,069石余・掛川藩領2,489石余・三河国吉田藩領5,000石・旗本領2万5,605石余・寺社領660石余),「天保郷帳」では108か町村・6万9,036石余,「旧高旧領」では149か町村・6万9,175石余(うち幕府領553石余・掛川藩領1,643石余・横須賀藩領2万8,049石余・浜松藩領2,104石余・相良藩領5,332石余・三河国西尾藩領3,760石余・同国吉田藩領1,436石余・丹波国篠山藩領6,843石余・旗本領および寺社領1万9,452石余)。
(近代)明治12~29年の郡名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7111086 |