幸浦村
【さちうらむら】

(近代)明治22年~昭和30年の自治体名。はじめ山名郡,明治29年からは磐田(いわた)郡に所属。太田川支流前川流域に位置し,南は遠州灘に臨む。湊・西同笠・太郎助・寄木の4か村が合併して成立。大字は旧村名を継承。役場を大字西同笠に設置。村名は製塩事業開発の際,大久保一翁が餞した和歌,「丈夫のきそふ網引の海幸にさちの浦々末栄ゆらし」にちなむ(静岡県磐田郡誌)。明治24年の戸数491・人口2,447,船133。世帯・人口は大正9年514・2,807,昭和25年577・3,555。南部一帯は砂州が続き,畑地が多く,北部一帯は耕田。生業の多くは半農半漁。洪水被害・潮害をしばしば受けた。昭和30年東浅羽・上浅羽・西浅羽の3か村と合併して浅羽村となる。各大字は同村の大字として存続。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7111663 |