伊保藩
【いぼはん】

旧国名:三河
(近世)江戸期の藩名。三河国加茂郡伊保(上伊保村)に居所を置く譜代藩。慶長5年伊勢国で7,000石を知行していた旗本丹羽氏次が,関ケ原の戦の論功行賞で三河国加茂郡22か村・高1万石を加増され,伊保(上伊保村)御岳本町に陣屋を設けて立藩した。氏次は陣屋の周辺に居住していた百姓25軒を徳田・横山の地に移転させて3年間年貢を免除し,家中屋敷と町人屋敷の町割を行い城下町の建設にあたった。町人屋敷は,本町通に18軒,市場に3軒設けられた。「伊保之記録」によると,藩領は,上伊保・伊保堂・殿貝津・下伊保・八草・大畑・広見・篠原・田籾・四郷・亀首・花本・荒井・越戸・枝下・加納・乙部・中山・田茂平・木瀬・飯野・深見の22か村(豊田市史)。しかし,氏次の子式部少輔氏信は,寛永15年1万石を加増されて美濃国恵那郡岩村に転封したため廃藩となった。その後,天和元年陸奥白河藩主本多能登守忠義の四男本多弾正少弼忠晴が陸奥国浅川から1万石で入封して再び立藩した。「元禄郷帳」における藩領は,上伊保・福田原・三好・明知・黒笹・福谷・田籾・大畑・八草・広見・篠原の各村および土橋村・宮口村・打越村の各一部。宝永2年忠晴は三河国碧海郡と遠江国榛原郡で5,000石を加増され,合計1万5,000石となった。同7年藩領のうち三河国の9,000石が遠江国に移されると,忠晴は遠江国相良に居所を移したため廃藩となる。なお,その後も延享3年まで加茂郡の八草・広見・大畑・篠原・田籾・上伊保の6か村3,000石は本多氏領(相良藩領)として存続した(豊田市史)。同年相良から陸奥泉への転封によって本多氏の三河での所領は消滅する。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7115932 |




