富士塚町
【ふじつかちょう】

旧国名:尾張
(近世~近代)江戸期~昭和55年の町名。江戸期は名古屋城下の1町。武家町の1つ。藤塚とも書く。竪杉ノ町の東,片端筋から駿河町に至る南北の町筋。慶長年間名古屋築城の時ここにあった富士浅間社を巾下に遷したが,その跡地に塚を築いて,再び富士権現を祀った(金鱗九十九之塵)。町名はこの塚にちなむ。町筋の両側すべて武家屋敷で,富士権現も津田氏邸内となったが,のち境内を画して別に門を開いた。安永年間頃,杉ノ町筋との角に天文暦数に長じ杁奉行を勤めた武藤嘉六が居住した(張城人物志・藩士名寄)。明治11年一部が杉ノ町となる。同年名古屋区,同22年名古屋市,同41年からは同市東区に所属。明治38年旧武家屋敷の1軒を校舎に名古屋裁縫女学校(現椙山女学園)が開校。同41年の戸数332・人口1,274。昭和30年の世帯数126・人口679。昭和51・55年に泉1~3丁目・東桜1~2丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7122875 |




