大河内
【おかわち】

旧国名:伊勢
大川内とも書き(勢州四家記),「おおかわち」ともいう。阪内(さかない)川中・上流域の山間部に位置する。地名の由来は,古く阪内川が大小2筋に分かれその中に位置したためと伝えられるが,詳細は不明(飯南郡史)。白米城伝説(南方熊楠:白米城の話)のある大河内城の址がある。大河内城は,平山城で築城の年は不明であるが,応永10年から同22年の間と推測される。城主の大河内顕雅は北畠家の分家で,この城は国司北畠家の守りの要城として築城されたものであった。のち織田信長が南伊勢に手をのばしだした永禄11年8月,北畠家は,大河内城で信長に対抗するため籠城する。同月下旬から約50日余の戦いが始まるが,地形を生かした北畠の守りに信長は苦戦,ついに織田掃部介信兼を使者に北畠に和睦を申し入れた(勢州兵乱記など)。そして信長二男茶筅丸を北畠の養子とすることで10月下旬戦は終わった。しかしこれらは織田方の策であり,やがて天正3年大河内城は壊され田丸に移り,その翌年には北畠氏は事実上滅亡の憂きめにあったのである。なお,ここには後北畠八幡が祀られ,そこに献句された「城あとにこぶしを握るわらび哉」は時代・作者ともに不詳であるが(勢国見聞集),大河内城の悲憤を語る句として地元にいまだに伝えられ,大正3年には「大河内城址記念碑」もたてられた(山田勘蔵:南勢大河内城史など)。
【大河内郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
【大河内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大河内村(近代)】 明治22年~昭和32年の自治体名。
【大河内(近代)】 明治22年~昭和42年の大字名。
【大河内町(近代)】 昭和42年~現在の松阪市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7125787 |




