川合
【かわい】

旧国名:伊賀
河合とも書く。柘植川支流の河合川・岩瀬川流域の沖積地と丘陵地帯に位置する。地名は,川の合流点付近に開発されたことによる。地内西側の丘陵には横穴式石室を持つ古墳が60基以上あり,また古墳後期の前方後円墳もある。地内北はずれにある中世の板碑2基は船戸地蔵といわれ,「伊水温故」や「三国地誌」によれば,美濃の土岐氏が小波田村へ建てようとしたが,遠路に労して同所に捨てたものとされる。田矢氏・三蓋山・上山・杉野氏城などの中世土豪の館址が残る。
【川合郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【川合荘(中世)】 鎌倉期から見える荘園名。
【河合郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
【河合郷(近世)】 江戸期の郷名。
【川合村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【河合村(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【川合(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7126214 |




