田曽浦
【たそうら】

旧国名:伊勢
五ケ所湾の湾口に位置する。往古は志摩国英虞(あご)郡に属した。地名の由来は不詳だが,曽は磯の意であるから,岩礁の多い地の意からと思われる。元禄年間の古地図に「荒磯舟かからず」と記される。外洋にも面しているので,古くから漁業に従事し,字コダナにあった高良神社は鯨骨を祀ったといわれる。字中村にあった八幡社は建治2年の創立といい,南北朝期に北畠氏の旨を奉じてその泰平を祈ったと伝える。葛島は中世加津良島大夫房が水軍として城を構えたといい,大夫房は元弘3年9月に阿曽宮の令旨と称して志摩国江向御厨に濫妨している(田中文書)。また,地内城山の地に中世の城址が残り,戦国末期に北村氏がここに拠ったという。天正11年には田曽鉄砲組27人が玉丸忠務の輩下となった(旧北村文書)。
【田曽浦(近世)】 江戸期~明治22年の浦名。
【田曽浦(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7127737 |




