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寛丸名
【ゆたけまろみょう】


旧国名:伊勢

(古代)平安期に見える名田名。伊勢国三重郡のうち。仮名民有年の所領。応徳元年の追捕使山口清任書状に見える(壬生文書/平遺1227)。この書状は寛丸名田河後郷3条17里粟父里13坪内5反をめぐって,これを内見納所内とし納所預大中臣奉恒(友常)が官物進済したと称したため,その事実を有年が定使清任にたずねたことに対する返事で,清任は官物進済を否定している。同2年の大中臣奉恒書状案(壬生文書/平遺1233)もこれに関連するものである。この相論は奉恒子真国の時,ふたたび生じている。承徳3年の民有年解案(壬生文書/平遺1402)によれば,奉恒との相論の時,前祭主(頼宣)から寛丸名内との公判を与えられたにもかかわらず,寛治5年ごろ真国が奪取,これを訴え,その結果祭主から検非違使恒国(常国),兼行に調査を命ずる外題が下されたが,彼らは一向に実行しないので早く裁判を行って欲しいと訴えている。祭主親定は検非違使角宗季,在郡司伊勢宿禰に兼行の換問,真国への陳弁聴取を命じ,その結果,彼等は同年(康和元)故奉恒書状・定使清任書状を根拠に寛丸名内と報告している(壬生文書/平遺1416)。同年には三重郡司良平(仮名安倍守富)が,名田内良田郷4条13日長里25坪1反を守富名内と称し押領,しかも対決以前に検非違使経貞が作人伴常遠より官物代と号して馬1匹を差し押さえる事件が生じている(壬生文書/平遺1405)。有年は,年来検田請文によって名田内であることは明白であること,しかも良平が勘合署名をしていることをあげ,馬の返却と良平との対決を祭主に訴え,祭主親定は,検非違使宗季,在郡司に馬の返却と,双方公験の調査・報告を命じている。以上のようにこの時期当地方では寛丸名(民有年),守富名(郡司良平),内見納所(大中臣真国)の諸勢力が激しい争いを展開していたのである。寛丸名が保延元年,「寛御厨」(壬生文書/平遺2333)として登場するのは,このような争いの中で,外宮寄進によって,所領を保全しようとした有年の選択であった。安元2年の祭主親隆下文に甲乙輩の寛丸名坪付相論に対し,すでに神田・御園・納所名田と確定,年月を経たところであるとのべ,寛丸名関係文書を公験として採用しなかったのは(壬生文書/平遺3763),先の相論の一応の結果を物語っており,民有年の所領寛丸名は,やがて寛御厨として再編される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7129856