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小椋荘
【おぐらのしょう】


旧国名:近江

(古代~中世)奈良期から見える荘園名。愛智(えち)郡のうち。奈良期は大安寺領であったが,平安中期には冷泉宮環子内親王領となり,建長5年の「近衛家所領目録」に見える。同目録には請所と記載されている(鎌遺7631)。荘は鈴鹿(すずか)山地西麓に位置しているため杣(そま)の機能も有しており,平安末期には比叡山西塔院釈迦堂後戸閼伽棚修理料の杉榑を当荘から切り出している(平遺4787)。また西接する興福寺領鯰江(なまずえの)荘も当荘の山野草木を利用(鎌遺7680)。室町期に入ると荘内は小椋・中野・岸下の3郷に分かれていた。また荘地が永源寺に寄進されることも多くなり明応4年には26町4反余の永源寺領が存在した。田地ばかりでなく,足利義満は祈願寺である永源寺に小椋荘岸下郷下司・惣追捕使職を安堵している。なお,当荘山中の君ケ畑(きみがはた)は全国木地師の総支配所であった。現在の愛東町小倉付近を中心に,御池川上流地域を含む鈴鹿山地西斜面に比定することができよう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7131208