君ケ畑
【きみがはた】

旧国名:近江
鈴鹿(すずか)山地の山麓に位置し,木地師(きじし)(轆轤師(ろくろし))発祥の地。「輿地志略」に「土俗相伝う,君畑と号する事は惟喬(これたか)親王,御座ありしより名付く」とある。惟喬親王を祭神とする大皇器地祖神社,惟喬親王を開基とする高松御所蔵王山金竜寺は日本国中轆轤師根源地として全国に名を知られる。所伝によれば,文徳天皇第1皇子惟喬親王は,皇位継承が第4皇子の惟仁親王に定まったために貞観元年都を逃れ,近江国岸本の里より小椋(おぐらの)荘の深山に入り,小松畑の山中を仮御所として金竜寺を建立した。住民は親王を高松御所と呼んで尊崇した。出家後の親王は法華経巻物の紐を引く原理から轆轤挽きの方法を考案。のち日本国中の轆轤祖神として大皇器地祖神社に祀られたという。その後木地師は良木を求めて諸国に拡散し,氏子神役等も困難となったため高松御所金竜寺より奉加帳等を携え日本全国の木地師をめぐる氏子駈が始められたと伝える(愛智太山草・温故録・輿地志略ほか)。当地が全国木地師の総支配所であったことは天正年間から確認でき,地内筒井神社には木地屋文書が残る(君ケ畑共有文書)。また,金竜寺所蔵の記録は元禄7年~明治6年の200年間,29回の巡国分51冊に及び,そこに見える諸国木地師名は戸主のみで9,734人,その巡国先は東北から九州まで全国に及んでいる。
【君ケ畑村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【君ケ畑(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7131939 |




