黄和田
【きわだ】

旧国名:近江
地名の由来は明らかでないが,古くから黄蘗(きはだ)樹が叢生したことによるといわれ「愛知郡蘗畑郷内字若上如来堂屋敷」とあり(大善寺寺地売券),蘗畑とも書かれた。創建年代は不詳であるが,日枝神社(山王大権現)が鎮座し,同社には慶応元年の奥書を有する「大般若経」が社蔵されている。承久3年青蓮院の尊長法印が小椋(おぐらの)荘内の遺領を道覚法親王に譲渡したのは(鎌遺2754)当地と推定されている。当地は近江と伊勢の往還路である八風(はつぷう)峠越の拠点となる要地。八風の名の起こりは神武天皇の東征のとき,天日別命の攻撃に伊勢津彦命が八風を吹き起こし海の彼方に消え去った説話(伊勢風土記)によるといわれ,「吾妻鏡」の元久元年3月の条に,伊勢平氏の残党が八風越道を閉塞したこと,「宗長日記」の大永6年条に八風越などと見える。また京極政高が同族間の紛争で当地に城砦を構え,その子京極材宗が越年している(金剛輪寺下用帳)。戦国期の争乱には織田信長をはじめ多くの軍勢が当地を通って八風峠を往来し,小字城の腰には小倉三河守一族のものと推定される城址がある。
【黄和田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【黄和田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7131982 |




