蛭谷
【ひるたに】

旧国名:近江
「大岩日記」に「貞観元年,惟喬(これたか)親王此所に始めて入たまう時,銚子口の滝有り水底に日輪のかがやくを御覧じて旱滝とみことのりにて(中略)又当村を昼滝とも昼澗ともいう」とある。木地師発祥の地として知られ,「貞観7年惟喬親王,筒井正八幡宮を勧請し給う。蛭谷村西筒井峠にあり」「日本国中轆轤(ろくろ)師の元祖也。天下の轆轤師悉く当社に詣でて祈り,当社より免許を出す。愛知深山記に惟喬親王此地及び君ケ畑にましまし,大木の多くあるを御覧ありて木地轆轤を挽く事を工夫なし給ふ」「惟喬親王は辱くも文徳天皇の第一皇子にして,清和天皇の庶兄なれば,天下の尊貴なり」とある(輿地志略)。全国の木地師はみな惟喬親王家臣の末葉と自負し,小椋(おぐら)谷を根元地として良木を求めて各地に分散したといわれ,中世後期から筒井八幡宮・筒井公文所の名において諸国への氏子駈が始められ,「大岩日記」には「文禄3年2月13日,筒井の氏子駈に今日より回国する」と記されている。筒井神社所蔵の氏子駈帳の整理されたものは,正保4年~明治15年の235年間の32冊で,その回国先は東北から九州まで46か国,戸主のみの人数でも延べ4万9,990人に及んでいる。
【蛭谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【蛭谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7134885 |




