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蟹幡郷
【かむはたのごう】


旧国名:山城

(古代)奈良期~平安期に見える郷名。「和名抄」山城国相楽(そうらく)郡七郷の1つ。刊本の訓は「加無波多」。「和名抄」(布帛部)に「似錦而薄者也〈加無波太〉」とあり,綾織の蟹の機(はた)が語源か。「万葉集」に「可波乃多為」を詠んだ歌があり,「華厳経音義私記」に「綺,加尼波多」とある事から,奈良期には「カニハタ」と読まれたと思われる。「古事記」「日本書紀」には,垂仁天皇が山背の「綺」(苅羽田・苅幡)にいる姉妹を娶ったという記事があり,延暦23年6月10・20日の東大寺家地相換券文にも「蟹幡郷」が見える(東南院文書/平遺24・25)。また「延喜式」神名帳に綺原坐健伊那大比売神社の名があり,その他「中右記」寛治6年2月6日条には「加波多河原」,永久元年12月の玄蕃寮牒案(柳原家記録/平遺1801)には,光孝天皇陵戸田として「綺郷」の名が見える。中世における綺(かば)荘は当郷名の遺名と推定され,江戸期には綺田(かばた)村が成立する。なお,「今昔物語集」巻16,「元亨釈書」巻28には,蟹満多(蟹満・紙幡)寺という寺が見え,蟹にまつわる縁起説話がある。両書はこれを久世郡の寺とするが,江戸期の綺田村に所在する蟹満寺のことであろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7138754