久美浜
【くみはま】

旧国名:丹後
久美谷(くみだに)川・栃谷(とちだに)川下流平野に位置する。北は久美浜湾に面し,西は河梨(こうなし)峠・三原峠で但馬国(兵庫県)に抜ける。久美の名は四道将軍丹波道主命の国見剣の国見よりおこるとの説もある(神谷神社考)。「和名抄」には久美郷があり,中世には一帯が長講堂領久美荘であった。また,「一遍聖絵」には「同(弘安)八年五月上旬に,丹後の久美の浜にて念仏申たまひけるに,竜波の中より出現したりける」とあり(続群9上),戦国期の「丹後御檀家帳」にも「くみのはま」が見える。地内の真言宗正智院末寺如意寺は,もと久美浜湾の西宝珠山の山腹にあり,坊数20を数える大寺であった。本堂の裏山から藤原末期の銅尖塔が出土した。また日前岳砦と称した松倉城跡がある。城主は松倉周防守であったが,天正10年松井佐渡守康之に代わった。のち小野木縫殿介が田辺を攻めた時,玄旨法印に命じて焼かせたと「丹哥府志」に見える。
【久美浜村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【久美浜村(近代)】 明治22~27年の熊野郡の自治体名。
【久美浜町(近代)】 明治27年~現在の熊野郡の自治体名。
【久美浜(近代)】 明治27年~現在の久美浜町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7139604 |




