玄蕃町
【げんばちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)織豊期~現在の町名。上御霊前通室町西入の町。天正年間の「上京文書」にすでに見える。当町北側に,浄土宗(のち天台宗に改宗)の西林寺がある。羽休(うきゆう)山飛行(ひぎよう)寺。延暦2年慶俊の開基。本尊将軍(勝軍)地蔵,慶俊が木槿の叢より感得したといい,木槿地蔵ともいう(拾遺都名所図会)。本地蔵は,洛中名地蔵として世に知られている(京羽二重)。古くは,堂舎が多く栄えていたが,応仁の乱の兵火,天明8年正月の大火に類焼し,わずかに草堂1宇を残すのみとなる。江戸期は上立売八町組枝町の小山八町組。明治2年町組改正から上京(かみぎよう)7番組,同5年第2区と改称,同25年第2学区に編成。また,明治12年上京区玄蕃町,同22年京都市上京区玄蕃町となり,現在に至る。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7139720 |




