蓼倉
【たでくら】

旧国名:山城
蓼蔵とも書く。賀茂川と高野川の合流点下鴨神社の近辺から,北東松ケ崎にかけての平地一帯。一部賀茂川右岸および高野川左岸の地を含んだと思われる。地名の由来について,「日本地理志料」は「本郷傍賀茂川,其土宜蓼因名」と記し,蓼生育の適地なるによるとする。「小右記」長元4年7月4日条に見える蓼倉尼寺は,この地にあった寺院と思われ,また「薩戒記」の記すところでは,室町初期ごろまで推古天皇の願によって建てられた蓼倉薬師堂(寺号法雲寺)なる寺があったが,洪水により厨子が流され,「白河汀」の「延勝寺辺」に移されたという(山城名勝志)。
【蓼倉郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【蓼倉郷(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える郷名。
【蓼倉荘(中世)】 室町期~戦国期に見える荘園名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7142263 |




