100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

智恩寺
【ちおんじ】


宮津市文珠にある寺。臨済宗妙心寺派。山号は天橋山であるが,本尊が文殊菩薩であることから,五台山という山号を通称する。日本三文殊の1つといわれ通称「切戸文殊堂」「九世戸文殊堂」という。当寺文殊の縁起などを背景に成立した謡曲「九世戸」でも知られる。所在地「天の橋立」は「丹後国風土記」逸文に見えるが,当寺の創建も古く,大同3年平城天皇が天の橋立に行幸され,霊夢に感じて勅願により建立されたと寺伝はいう。山号・寺号は,延喜4年に醍醐天皇の勅により付され,その勅額と称するものが伝えられる。勅願所となって,文殊会料の荘田寄進があった。また,平安期には丹後国司藤原昌保や平重盛が文殊堂などの堂宇修覆にあたったと伝えられ,真言宗寺院として展開をみたと推測されるが詳細は未詳。禅宗寺院化は南北朝期嵩山居中(大本禅師)入寺が契機となったようである。足利義満・義持,細川幽斎・三斎などの保護を得たほか,「丹波国田数帳」によれば近郷に5町4反余の寺領をもった。境内にある柿葺三間の多宝塔(国重文)は寺伝で明応9年丹後国府中城主延永修理之進春信建立と伝えられてきたが,大正期の修理の際,「明応九年三月釿始 同七月十九日立柱」の墨書の発見などで史料的に確証された。近世には宮津藩主歴代の保護を得た。寺領50石,末寺25か寺,塔頭は久昌院・本光院・寿昌院・対潮庵・心月院の5院庵を数え,本堂(文殊堂)・鐘楼・山門・方丈・経蔵・地蔵堂・観音堂・多宝塔・衆寮などの諸堂宇完備の寺観を呈している。寺格は乗輿免許5か寺の1寺に入り,御目見は第3番目であった。寺勢興隆は京極高広に依るところが多く,寛永年中,別源禅師を招請し中興開山としている。第2世住持南宗和尚が明暦年中に文殊堂修理を行ったのをはじめ,8世完道和尚,10世蘭渓和尚など諸堂宇修理に尽力し,寺観を保った。現存の建物のうちで,本堂に相当する文殊堂は明暦年中および宝暦年中の江戸期に修理を経たと伝える。内陣中央の「神建の柱」と称する四本柱や天井は室町初期を下らぬ古いものであるが,全体的には江戸初・中期頃の建築物である。山門は「黄金閣」と称し,明和4年の再建,方丈は天保年間再建で,上間の床板は「一分七目の松」と称され,天の橋立公園を領有していた時期(明治維新まで),その松を建材として用いたものである。庫裏は寛政11年改築,楼門は「暁雲閣」と称し享保年間再建,鐘楼は明治14年再建。また,無相堂は寛永年中,鎮守堂は嘉永年中の再建と伝える。国重文に木造文殊菩薩脇士善財童子優闐王像3体と「至治二年壬戌十月十六日海州首陽山薬師寺……」と記す中国元朝年号在銘の金鼓(直径15cm)がある。また,元朝期の作と考えられる渡来の仏画2幅を所蔵する。そのほか,和泉式部の塚と伝える宝篋印塔(鎌倉期),室町期の応永・永享年号在銘の等身地蔵菩薩2体,戦国期の多宝塔やキリシタン灯籠,通称「智恵の輪」という航海安全のための輪灯籠などの石造物,藤原期の古鏡「正応三庚寅七月七日」の銘をもつ鉄盤(古式湯舟)の金工品や,寛政9年の絵馬(酒造図),天橋立古図をはじめ数多くの寺宝を所蔵している(丹後宮津志)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7142459