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船屋
【ふなや】


旧国名:山城

(近世~近代)江戸期~現在の町場名。山城国相楽(そうらく)郡加茂郷のうち。木津川左岸に位置する津集落。京都・伏見・大阪へ通じる木津川舟運の拠点で,また東西に走る伊賀街道と,奈良から和束(わづか)・信楽(しがらき)へと南北に走る信楽街道の交差する地域でもあり,早くから交通の要衝として,町場的発展をみたようである。対岸の加茂との間には渡しがあり,加茂の渡船場としても著名であった(山城名跡巡行志)。地名の由来は,船問屋が集まっていた地であったことにちなむものと考えられる。町場の形成については不明な部分が多いが,現在加茂町里の東の高台にある常念寺は,もともと延徳年間に天台宗真盛派の開祖真盛上人が京都から伊賀への往還途中に当地に足をとどめてつくった常念仏堂が,真盛上人の弟子盛憲が開基となって船屋にできた寺院と伝えられることから(加茂町の史蹟と文化財),室町後期にはすでに町場は形成されていたものと考えられる。正徳2年8月の大洪水によって町屋は流失したが,再生した。この大洪水からの復興にあたり,賀茂の字を加茂に改めたことが,常念寺の什物記録から明らかにされている。ちなみに,洪水以前船屋にあった常念寺および春日若宮社は,ともに復興にあたり,現在地の加茂町大字里に移転したという(加茂町の史蹟と文化財)。江戸期の「山州名跡志」「山城名跡巡行志」「拾遺都名所図会」などは,加茂郷の村名として船屋をあげているが,公的には独立の行政村落として村立てはされていない。享和3年の記録によれば,「船屋町」とあり,里・兎並・北村の3か村入組であるという(私たちの相楽郡)。また「府地誌」は,北村の字として「村ノ西ニアリ。東西二丁四十間,南北二丁十間」,兎並村の字として「村ノ西北ニアリ。東西三丁二十間,南北一丁五間」と記す。明治仮製図などの地図類によれば,伊賀街道と信楽街道(奈良街道)の交差点近くを基点に,東へ北村の集落方向と,南へ加茂駅方向と鍵型に船屋の町並みが道路に沿って形成されている。ともあれ,近代に至っては舟運から陸上交通へとその機能を変化させつつ,加茂地方随一の市街地・商店街として発展してきた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7144982