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矢田荘
【やだのしょう】


旧国名:丹波

(古代~中世)平安期~室町期に見える荘園名。丹波国桑田郡のうち。天元3年2月2日付の某寺資財帳に「一,丹波国……矢田庄二町余〈故住持御忌田料〉」とある(金比羅宮文書/平遺315)。その後は不明であるが,針博士丹波康頼が賜り,医王谷に住したという伝承がある。また源平合戦の最中,寿永2年には当地で矢田義康が木曽義仲に応じて挙兵している。下って室町期の応永6年には富永資良が当地で合戦し傷を被ったという(伴氏系図/続群7下)。応永10年以降の年欠河内国鞆呂岐荘領家職得分事書案に「丹波矢田庄」とあり,広橋殿が知行していたが不知行となったため,替地として中山殿知行の鞆呂岐を賜ったという(教王護国寺文書)。一方当荘には早くから鍬山神社に所属する丹波猿楽座が成立していたが,「看聞御記」応永23年3月10日条によると,御香宮神事に来ていた猿楽の楽頭八田愛王大夫は去年罪科があり八田荘を追放され伏見に隠居している。同じく永享9年3月13日条には「猿楽大千世法鏡寺御免,矢田ニ帰住,仍参,猿楽殊勝云々」とあり,愛王大夫の子大千世が宝鏡寺に許されて矢田に帰っており,当荘は宝鏡寺領となっていたことがわかる。文明6年閏5月9日付の室町幕府奉行人連署奉書によると,御料書丹波国箕田保池尻村と宝鏡寺領と八田7村との間に用水相論があり,池尻村の用水を宝鏡寺領と八田7村へ通すよう命じている(蜷川家文書)。この八田7村は式内社鍬山神社の氏子村上矢田・中矢田・下矢田・追分・荒塚・古世・三宅などの村々にあたるものと思われる。なお「蔭凉軒日録」文明18年12月20日条にも「丹波矢田」とある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7146199