新開荘
【しんかいのしょう】

旧国名:摂津
(中世)南北朝期~室町期に見える荘園名。摂津国東成(ひがしなり)郡のうち。天王寺三昧院領。興国元年7月28日付の後村上天皇綸旨(秋野房文書/大日料6-6)に「摂津国新開荘領主職事」とあるのが初見で,南朝は秋野房孝順に当荘の領主職を知行させている。それには孝順相伝の知行とあり,秋野房が代々領掌していたものらしく,正平6年2月28日の天王寺検校大僧正御房御教書(同前)によれば,性順の余流である通順に同荘の所務知行が下されている。その起源について,「天王寺誌」坤には「冷泉帝 勅納三昧院領」と見えるが,その確証はない。また,「満済准后日記」永享3年3月9日の条によれば,天王寺方より新開荘へ発向し,荘内の堂塔と在家1宇に放火して焼却したため,紛争防止に出向いていた守護細川方の使者は面目を失ったという(続群補)。荘域について「五畿内志」は中浜・本庄・左専道(させんどう)・鴫野(しぎの)・永田・天王田(てんのうでん)・深江・大今里・東今里・西今里・中浜の各村をあげている。荘名から,上町台地の東部低湿地,平野川の東岸沿いに開発されたものと思われる。現在の大阪市城東区・東成区のうちに比定され,江戸期には,北新開荘村・南新開荘村が見える。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7150600 |




