田治米
【たじめ】

旧国名:和泉
多治米とも書いた。牛滝川中流右岸に位置する。天平十三年記に「久米多池 在泉南郡丹比郡里 物部田池 在同所」と見えるが(行基年譜/続々群3),丹比(たじひ)郡里が丹比部里であるか不詳。「正源寺縁起」に,僧行基が久米田池開削にあたり,まずこの正源寺に草鞋を脱いだとされ,寺号を天平山と称し,行基開基と伝える。その故地と思われる田治米菅原神社境内からは奈良後期の古瓦が出土している。当地は「新撰姓氏録」に見える和泉国皇別丹比部の本貫の地と思われる。地名の由来は丹比部から田治米への転訛といわれる。
【多治米村(中世)】 鎌倉期~室町期に見える村名。
【田治米村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【田治米(近代)】 明治22年~昭和18年の大字名。
【田治米町(近代)】 昭和18年~現在の岸和田市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7151266 |




