畑
【はた】

旧国名:河内
波多とも書いた。二上山南西麓に位置し,西部を太井川が流れる。「全志」4によれば,畑は阿田の訛といい,敏達天皇12年に日羅を殺した百済(くだら)の徳爾らを捕え置いた「下百済河(阿)田村」の地とする。同書はまた敏達天皇の百済大井宮も当地にあったのではないかとし,往時大井村とも称したと記すが諸説があり,詳細は不明。地内には,大師伝説にまつわる弘法大師が掘ったという大師井(別称栂井)や,井戸水で渇きを癒し憩ったという腰掛岩などがある。また北部を流れるフケ川畔の不動岩は,葛城登山の修験者の行場であったという。
【波多郷(古代)】 奈良期に見える郷名。
【畑(中世)】 戦国期に見える地名。
【畑村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【畑(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7152885 |




