本五分一町
【もとごぶいちちょう】

旧国名:摂津
(近世)江戸期~明治5年の町名。江戸期は大坂三郷北組のうち。もと武蔵殿屋敷(初発言上候帳面写/大阪市史5),元禄元年の増補大坂図には町名が見える。中之島のほぼ中央部,田蓑橋南詰西側の町で安芸広島藩蔵屋敷があった(宝暦町鑑)。同藩蔵屋敷は当町東の西信町域にもかかっていた(公私要覧/浪速叢書3)。元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数1軒,役数15,年寄は置かれず広島藩屋敷名代として住吉屋藤左衛門が任じられていた。当町の堂島川べりに,枝葉の形がタコの遊泳する姿に似ていることから章魚の松と呼ばれる老松があり,広島藩は扶持米10石を与えてこれを保護していた。筑後久留米藩蔵屋敷(常安裏町)の前にあった鶴の松と並び称された亀の松と,この章魚の松が同木であるかは意見が分かれるが,異木かと思われる(中之島誌)。明治2年大阪北大組に所属。同5年常安町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7154504 |




