青野原下新田
【あおのはらしもしんでん】

旧国名:播磨
加古川支流万願寺川の下流左岸。もと青野原と称した原野の一部で,下野と呼ばれた加西・加東両郡村々の入会秣場。幕府の新田開発の要請を受けて,享保8年網引村庄屋高田六郎右衛門が代官に願い出て下野の開発着手(山下家蔵高田家文書)。開発当初は青野村に対して「加西・加東青野原新田」と称したが,青野原中新田が開発されるに及んで青野原下新田と改称した。郡境に位置したことから「堺新田」とも称した。のち,この「堺」の音をとって「栄」の大字名ができる(加西郡誌)。
【青野原下新田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【青野原下新田(近代)】 明治22~31年の九会村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7155025 |




