岩野辺
【いわのべ】

旧国名:播磨
古くは岩鍋といった。千種(ちくさ)川上流域。地名の由来は,金屋子神社祭文に高天ケ原より神が降臨し,民の安全と五穀豊穣を願い傍らの磐石(いわ)で鍋を造ったことから当地が岩鍋と呼ばれ,神はそれより白鷺に乗って野義の奥非田(現島根県広瀬町)に行き,自ら村下となり鉄を吹いたと記される。地内の山々にはいたるところに鉄穴流しや鑪場などの製鉄遺跡があり,特に荒尾には鉄山師の建てた供養碑や高殿・大銅場・鍛冶小屋・勘定場(元小屋)・砂鉄小屋・炭小屋・山内小屋など各職分ごとに石垣で囲まれた遺跡が残る。地内新宮の小池に左眼が赤く充血しているドジョウが住むという。天正8年5月,羽柴秀吉に追われた長水城主宇野政頼が当地に落ちのびた時,四男光兼が左眼を射られながら父を護って奮戦し,ようやくこの池の傍らで矢を抜き取り傷を洗った。その由縁で今もこの池のドジョウの左眼が赤いと伝える。
【岩野辺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【岩野辺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7155885 |




