御幸
【ごこう】
旧国名:播磨
野田川右岸。地名の由来は,承安4年後白河法皇の書写山御幸があってから,当地の御幸橋や御幸堂の名が付けられ,地名となった。御幸堂というのは,天台宗光明寺のことで,花山法皇が西国三十三か所巡拝の時立ち寄ったという。建永2年法然が四国へ向かう途中,当地に寄ってから人々は皆浄土宗に帰したと伝え,その寺は現知宝寺である(飾磨郡誌)。
【御幸町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【御幸(近代)】 明治22年~現在の町名。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7158380 |