鷲林寺?
【じゅうりんじ】

旧国名:摂津
「じゅうれんじ」ともいう。仁川上流右岸および夙川の上流域。地名の由来になった鷲林寺は,伽藍開基記によると天長10年に空海によって創建されたという。中世には寺勢も盛んで,鎌倉期の元応3年正月25日付田地売券に武庫西条の田地を「鷲林寺上総君」なる僧侶が買得したことが見えるのをはじめ,南北朝期~室町期に小松荘・弘井荘などの田地を寺領として集積した(大徳寺文書/西宮市史4)。室町期には応永19年の北野社一切経供養の写経が行われ,例えば「大方広如来秘密蔵経」巻下奥書に「摂州武庫郡鷲林寺僧祐賢」などと見える(北野社一切経/大日料7‐16)。明応4年には三条西実隆が神祇伯の依頼で「摂州西宮鷲林寺勧進帳」を書き与えており(実隆公記明応4年5月26日・7月2日条),寺勢が盛んになるにつれ,新田開発が進められ集落が生まれた。しかし,天正6年荒木村重の反乱に関連し,寺が焼失,この時退散した僧が有馬温泉で旅宿を開いたという。集落の中を通る道は,古来丹波と西宮を結ぶ近道で,鉄道開通までは丹波の酒造出稼人が,この道を通って西宮の酒蔵に向かい,十日戎には奥地からの参詣人が昼夜を分けず列をなして往復したという(西宮地名考)。また戦国期に甲斐の武田氏と越後の上杉氏の対立抗争が生じた時,両家の臣でこの地に帰農した者がいたという(大社村誌)。
【鷲林寺新田(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【鷲林寺(近代)】 明治22年~昭和51年の大字名。
【鷲林寺町(近代)】 昭和29年~現在の西宮市の町名。
【鷲林寺(近代)】 昭和51年~現在の西宮市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7159503 |




