千種
【ちくさ】

旧国名:播磨
古くは敷草村という。千種川の上流域。地名の由来は,「風土記」に「草を敷きて神の座となす,故敷草という」とあり,「播磨国風土記新考」に「シキクサをシクサとつづめ更にチクサと訛れるならむ。伊和大神巡行の時草を敷きて大神の御座とせしならむ」とある。また,大森神社由緒によれば,村の木こりが大山祇命の教えにより玉を得,これを奉祀するため八百草・千草を刈り集めて神座を作ったことにより千草と名付けたという。地内大寺に天正8年5月,羽柴秀吉に攻められ当地に落ちのびて自刃した長水城の宇野政頼・祐清父子や家臣らの墓地があり,五輪の供養碑が並ぶ。また昭和49年,大寺で道路整備と側溝付設工事の時多数の布目瓦や土器が出土し,平安後期に伽藍をそなえた寺院があったことが確認された。ほかにおてぼう様と呼ばれる五輪がある。
【千草村(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える村名。
【千草町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【千種村(近代)】 明治22年~昭和34年の宍粟郡の自治体名。
【千種町(近代)】 昭和35年~現在の宍粟郡の自治体名。
【千草(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7160669 |




