寺田村
【てらだむら】

旧国名:播磨
(中世)南北朝期~戦国期に見える村名。播磨国印南(いなみ)郡大塩荘のうち。貞和3年8月23日「寺田村」は梶井宮(尊胤法親王)から徳禅寺御影堂に寄進された。文和2年5月8日の延暦寺座主(尊胤法親王)令旨によれば,当村は本来来迎院領であったとみられる(大徳寺文書2/大日古)。これ以降,当村は徳禅寺領となった。応永34年3月28日足利義持は「徳禅寺領播磨国寺田村」などの段銭・諸公事・守護役などを免除し,守護使不入の地として認め,これ以後当村は室町幕府将軍から代々安堵を受けた(同前1/同前)。この間,文明9年から数年間大塩右京進の違乱を受けた(同前)。明応6年3月28日の寺田村内検帳によれば,当村の惣田数は41町6反35代で定米94石7斗9升,ほかに屋敷地子・布代・夫代などが銭で納入された(同前)。また,明応9年9月25日の寺田村公事銭納下日記によれば,この年夏の公事銭として6貫722文が納入され,このうち3貫742文が必要経費として計上されている(大徳寺文書2/大日古)。現在の姫路市大塩町付近に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7160940 |