長田?
【ながた】
旧国名:播磨
加古川河口左岸,瀬戸内海沿岸近くに位置する。地名の由来は,「風土記」によれば,細長い田があったので長田と名付けられたとある。「播磨鑑」に「天の御船……岩にて船の形也,長五尺四寸,幅二尺四寸,日向大明神日向より乗来り玉ふと云伝ふ」とある石棺が残されていた。同じく「播磨鑑」に「尾上構居 長田庄 領主ハ尾上丹波守 別所ノ幕下」とある構居跡は,現在の長田寺一帯である。「播諸城交替連綿記」には「尾上構主加古滝十郎盈斎(赤松氏範末孫なり)居す」とある。
【長田郷(古代)】 奈良期~平安期に見える郷名。
【長田荘(中世)】 戦国期に見える荘名。
【長田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【長田(近代)】 明治22年~現在の大字名。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7161354 |