中宮
【なかみや】

旧国名:摂津
諏訪山南麓の台地上に位置する。古くは一帯を兎餓野といいその中央付近にあることから,中野と呼ばれ神戸の七野の1つに数えられた。また古墳があるため大塚村とも称したという。地名の由来は,生田神社の裔神8社のうちの4番目の四宮神社が近いためという説もある(西摂大観)。大小3基の古墳があり,主墳は大正5年発掘調査され,剣・馬具・斎器などを出土。仁徳天皇が八田皇女と兎餓野の高台で毎夜鹿の声を聞いて楽しんだという伝説があり(日本書紀),この古墳を八田皇女のものとする説がある(西摂大観)。諏訪山には,観応年間赤松氏が山路城を築き,天正8年花熊合戦では池田恒興(信輝)がここに陣を設けた。
【中宮村(近世)】 江戸期~明治5年の村名。
【中宮町(近代)】 明治5~7年の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7161475 |




