椒
【はじかみ】

旧国名:但馬
北但山地大岡山北麓,竹野川支流椒川の最上流域。地名は,往古山椒が群生し,当地方の重要な献上品となっていたことによるという。平安期の永暦2年8月7日付大岡寺敷地山林注進状案に「北限桝(椒)坂鳥居」とあり,大岡寺寺領の北の境界に当たり,結界を示す鳥居が立てられていた(大岡寺文書)。また,当地には石清水八幡宮末で但馬国八所別宮の1つ椒別宮が鎮座した。保元3年12月3日付官宣旨に「但馬国……桝(椒)別宮」が見え(石清水文書/平遺2959),鎌倉期には弘安8年の但馬国大田文に「椒別宮 八丁三反〈八幡宮領〉」と記されるように荘園として扱われた。田地の内訳は仏神田2町9反余・人給1町2反・定田4町1反余で,下司は国御家人の石禾九郎能実であった。下って,永正5年の大岡寺寺領散在田注進状にも「一段 椒八幡宮領内寄進」と,同宮が見える(大岡寺文書)。
【椒村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【椒(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7162257 |