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葦垣宮
【あしがきのみや】


生駒郡斑鳩(いかるが)町法隆寺字上宮(かみや)を伝承地とする古代の宮名。同地の成福寺には「蘆宮」の額を蔵し,堂の軒瓦にもその文字がある。富雄川の右岸,法隆寺の南東方約1.2kmに位置する。天平19年成立の「大安寺資財帳」に,病臥する聖徳太子を田村皇子(舒明)が飽波葦垣宮に見舞う話があり,太子晩年の宮居とみられる。「書紀」にはこのことを記さず,推古天皇29年に太子が斑鳩宮で薨じたとする。したがって飽波葦垣宮が斑鳩宮の異称とする説と,飽波葦垣宮は広義の斑鳩宮の範囲内にあり,太子の妃膳菩岐々美郎女とその王子たち,彼女の死後には泊瀬王宮となるという説,また条里史料から飽波の地は富雄川左岸の地,額田部の西部と北部の一帯とし,7世紀の飽波評,8世紀の飽波村,飽波宮もこの地に求める説などがある。最後の説を採る場合,斑鳩町法隆寺字上宮とは場所を異にする。なお8世紀の飽波宮のことは,「続紀」神護景雲元年4月乙巳条に称徳天皇が同宮に行幸し,法隆寺の奴婢27人に爵を賜ったとある。参考文献に,「額田部連と飽波評」(日本政治社会史研究上),「『斑鳩宮』について」(日本歴史451)がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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