祝戸
【いわいど】

旧国名:大和
飛鳥川と冬野川が合流する地域に位置する。祝戸は祝部を意味し,斎部・忌部と同義の地名。神を祀る祝部の居住地か。皇極紀元年7月戊寅条に,「村々の祝部の所教のままに,或は牛馬を殺して諸社の神を祭る。或は頻に市を移し,或は河伯に祈るも,既に所効なしといふ」とあり,村々の祝部の記事が見える。同8月甲申条には,「天皇,南淵の河の上に幸して,跪きて四方を拝み,天を仰ぎて祈ひたまふ。即ち雷なり大雨ふる。遂に雨ふること五日,天下を溥潤(あまねくうるほ)しつ」とあり,皇極天皇が当地付近で雨を祈ったことが知られる。細川谷古墳群に含まれる古墳が3基数えられる。旧街道沿いに男根石がある。この石に対して飛鳥川左岸の丘陵を「フグリ山」と呼ぶ。
【イワヤト(中世)】 戦国期に見える地名。
【祝戸村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【祝戸(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7165550 |




